一 よく喋る庭師
庭師・金柿真理(以下 マリー)は、植物と喋ることができる。しかも、よく喋る。実際、一部のお客さんは、マリーの特殊な能力に気づいているようだ。「金柿さんって、植物と話すタイプの人でしょってよく言われるんですよ」。ばれちゃってますかねと笑いながらハンドルを切り、マリーはきゅっと車を停めた。冷気、落葉、鳥の声。死と再生のミルフィーユのような暗い森を、どんどんゆく。森には何ひとつ、余分なものがない。むだなものがない。「ああ、あなたは、こんなとこにおったんね。無事だった?」。同窓会で再会した旧友に近況を聞くかのように。愛しい植物に向かってぽつん、と雨露のような声を落とした。それはいつからかと尋ねると、「物心ついた時にはすでに」だったらしい。
海の近くに生まれ、小学2年生で山奥へ引っ越したマリーには、友人とよべる人ができなかった。だから道端の植物に話しかけながら、学校を行き来した。飽きもせず、小学校を卒業するまでその遊びは続いたという。脈々と力強く立つ梯梧(でいご)の樹と語らい、日が暮れるまで岩肌を眺め、岩に自生する豆蔦(まめつた)を愛しんだ。「よし、今日もさるすべりは無事だな」。友人の安否確認をするのは自然なことだ。喉が渇いたら水が飲みたくなるくらい、自然なことだ。
それでも少し疲れたとき、マリーはひとり、山を目指した。えっちらおっちらと山道をのぼり、山頂にあがると、そこには360度見渡せる展望台があった。彼女が本当にさみしいときに見たかったのは海だった。庭師としてのキャリアが長くなる一方、マリーは自問を続けるようになった。「草も木も、庭にいるときより自然のなかにいる時のほうがずっと生き生きしているのを知っている。人間ごときが庭をつくってそれを維持して、植物を操作しようなんて、100万年早いんじゃない?って言われてる気がする」。植物を本当に愛しているから、人と自然の理想的な関係を願い、試行錯誤をくりかえす。50代に突入したマリーがいま、思い浮かべているのはこんな風景だ。―自然に近い庭。野生に育てられる庭。誰も見たことのない、未知の庭。ささやかな願いを胸にマリーはこの惑星で、新しい風景をつくろうとしている。フランスの庭師、ジル・クレマンの言葉を借りるならば、「すべては庭師の手中にある」。
(つづく)